海月による東紀州からの情報発信~ぜひ遊びにきてい~
by kurage874
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カテゴリ
プロフィール
■ブログネーム
 海月(くらげ)

■本名
 端無 徹也
 (はなしてつや)

■棲んでいる所
 熊野市飛鳥町佐渡874-1

■やっていること
キタガワノホトリ
 東紀州市民活動支援センター
 尾鷲市北浦町1-8
・付属施設
 ・CReAM(クリーム)
  コミュニティカフェレスト
  (レンタル)
  日替りコックさんのランチ
  1日店長のお店
 ・ヤキヤマロック
  (レンタル)
  ボルダリングスタジオ
 ・二瓶窯
  (レンタル)
  石窯
 ・アトリエウミノハタ
  (テナントスペース)
   プロジェクトCReAM様
   ステキ工房オワセ様
 ・スギノハコ
  (チャレンジショップ)
   サロンHASU様
 ・CO-DO(コドウ)
  (レンタル)
  ギャラリースペース
 ・音楽室
  (レンタル)
  音楽スタジオ
 ・名称検討中
  (クラフトスペース)
   PureMarin様

・キタガワマーケット
  毎月第3日曜日
  9時半~16時半
☆告知
  出店者募集

 営業日
  平日 9時半~16時半

 TEL:0597-22-5554
 FAX:0597-22-5554
 mail:hcd.secretariat@gmail.com
 駐車場有、トイレあり

◆(特非)みえNPOネットワークセンター
 中間支援組織の集合体
☆役職
 理事

東紀州コミュニティデザイン
 中間支援組織
  コミュニティカフェ事業部
  キタガワノホトリ事業部
  中間支援事業部
  防災・減災事業部
 尾鷲市北浦町1-8
  キタガワノホトリ内
 TEL:0597-22-5554
 TEL:080-2627-2080
 FAX:0597-22-5554
 mail:hcd.secretariat@gmail.com
☆役職
 事務局長
☆職員
 1名雇用中、1名募集中
☆告知
 支援者・支援金募集中

一般社団法人熊野レストレーション
 森林里山保全ボランティア
 テクニカル災害支援
  森林里山保全事業
  森林レクレーション事業
  中山間支援事業
  DRT事業
  非公認の山岳部
 尾鷲市北浦町1-8
  キタガワノホトリ内
 TEL:0597-22-5554
 FAX:0597-22-5554
 mail:hcd.secretariat@gmail.com
☆役職
 代表
☆告知
 会員・賛助会員募集中
 就農希望者募集中(2名)

■資格
 普通自動車運転免許
 アマチュア無線
 第2種電気工事士
 246類危険物取扱者
 高校専修工業
 中学校第1種技術

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思い
海月には、たくさんの"思い"があります。

ときとして、"重い"ものもありますが、いつからか、こんな人生を歩んでいます。たいがいは、思いが"使命感"になるので、達成感が無かったり、思いが成就されないと、脱力感に襲われます。

縁があって、住んでいるまちの議員になり、思いはさらに増えました。欲張りしてると感じるときもありますが、人の思いを共有することもあります。

尾鷲に対する思い
東紀州に対する思い
三重県に対する思い
仲間に対する思い
妻に対する思い
娘に対する思い
家族に対する思い

たくさんの思いが、私を支える原動力であるとともに、足かせ手かせになることもあります。

いろんなことを考えながらも、ひとつひとつ、紐解いていくしかありません。

ただ、これが、生きている証かも知れません。

「明日が来ない朝はない」

そういい聞かせている自分がいます。

by kurage874 | 2011-05-31 21:22 |  海月のぼやき
自助・互助・共助・公助・外助
議員活動で東京に来ています。

災害ボランティア議員連盟という、国会議員から市町村議員までが参画している議連の総会と研修会があります。研修会では、福島原発の状況や対応などを、経産省の原子力安全・保安院などから説明を受けたり、辻元清美災害ボランティア担当首相補佐官からは、ボランティアの状況の説明を受けたりする予定です。また、議連としての復興のあり方も議論する予定です。
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宿泊している11階の室内から撮影しましたが、この周辺は国の機関が集中しています。正面は皇居で、右方向に桜田門があります。左の大きな建物が、最高裁判所で、中央が国立国会図書館(owasebonも保管しています)、右奥に国会議事堂が見えています。

昨夜は、新幹線が遅れたこともあり、24時間近にここまできました。さすがに夜は閑散としていて、いまいる場所を探すのにも苦労しました。また、節電を積極的にしていることもあり、コンビニも照明を落としています。最初は、夜になると閉店しているのかと思ってしまいました。

まもなく移動しますが、これほど国の機関が集中していると、便利が良かったり悪かったりだろうなと感じます。それこそ、災害などが発生した場合、復興させるだけでも大変なのに、多くの機関の事務処理も一時滞るだろうと感じます。

都市災害関連の書籍やサイトもたくさんありますが、東日本大震災では、都市部における帰宅困難者の課題も浮き彫りになりました。しかし、多くの施設をはじめ、個人や団体・組織が、急な状況下で支援をしていたことも、特筆すべきだと考えています。おそらく、この地域の人たちには、日ごろの防災・減災意識が高いのだろうと推測もします。

地域防災や市民防災、防災まちづくりなど、身近に感じる防災や減災は、多種多様であったほうがと考えています。しかしそれは、根っこで繋がっていたほうが、連携や共有がよりしやすいとも感じています。地方にいくほど、互助の防災・減災に集中していく傾向ですが、これも東日本大震災で学べる課題でもあります。

自助はもちろんですが、互助を大切にしながら、共助と公助が大事になってくるのは言うまでもありません。また、これは私の持論ですが、”外助”も大きな要素だと考えています。つまりは、”外からの(地域外からの)助け”ですね(通常は共助に入るでしょうが、あえて)。これも、多くの被災地で検証することができます。

地方は、この外助をどう捉えるかで、その後の復興や再興に大きな地域差が出るとも感じます。言葉はどうなるかわかりませんが、自助・互助・共助・公助・外助が、防災・減災には不可欠でしょう。

自然災害は防ぎようがなくとも、そこから学ぶことはできます。

それを活かすことが、私たちの使命感だと感じています。
それは、議員であっても、市民であっても同じです。

by kurage874 | 2011-05-31 10:41 |  市民減災まちづくり
月曜日はブログの更新が少ないことに気づく
台風、あの程度でよかったです。

娘を寝付かせるために、絵本読んで、歌うたって、体さすって…しまいには、自分自身も寝てしまった。なんとなく洗濯物を干している夢を見て、目が覚めると2時で、とうに終わっていた洗濯を干して、ようやく仕事が一息つきました。

昨日は、大雨の中、雨合羽を着て外に出たいとごねる娘を連れて、ドライブにでかけました。しかし、あっという間に娘はスヤスヤと寝てしまい、買い物するにも起こすのかわいそうだし、三木里インター線を通って、賀田町のみのや製菓舗で”ろっぽう”を買いに走りました。

そのまま実家まで走り、ようやく1時間ちょい、娘も起きてきて、夜までのんびりとしました。弟が埼玉から帰省しており、妹がまもなく3人目を出産するので、「わがらの5人目も、女の子やな」と話しました。兄弟3人のうちで、誰が男の子を産むかみたいな話をしていたときもあったので、あとは弟に任すしかないなあ…

夕食のあと、すんなり娘も帰ると言うので、その勢いで帰ってきました。42号の病院交差点を曲がると、「かーちゃん、かーちゃん」と相変わらず連呼するので、非常に切なく、情けなく、悔しいですね。「かーちゃんはいーへんよ、また来るよ」って、答えにならない答えをして、「いーちゃーった」と返されてしまった。

で、風呂に入って、このブログになるのですが、目が冴えるとはこのことで、気づくとかなり仕事を片付けていました。欲張れば、議案のネット調査をしたいのですが、これをやると確実に朝になってしまうので、このあと寝るとします。明日も、9時までには娘を登園させたいし。月曜日は、可燃ごみもあるし、娘のテンションも高いしで(いつもか)、あっという間に過ぎていく感じです。

今月中ごろから、ほぼ娘と2人の生活をしてきたので、娘の目を見張る成長に驚き、喜び、たまに叱ることもあります。「アンパーンチ」ってのも覚えて、朝早くから起こしにかかるのはいいけれど、悪さをしても「きーく」ってやるからね。

さて、月曜日のブログの更新が少ないと気づき、なんでもない日常を書き残して寝るとします。

オヤスミナサイ

by kurage874 | 2011-05-30 03:33 |  尾鷲の足あと
久しぶりに尾鷲のご飯をたべる
金曜日、凛に行ってきました。

久しぶりに、「尾鷲のご飯が食べたいな」って行ったのですが、今日は”ガランドウ”の塩焼きが出てきました。ガランドウは、”ハナジャコ”と同じく、尾鷲で知ったトロ船の魚です。c0010936_1256296.jpg


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ガランドウ


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見事でしょ


そういえば、妻はハナジャコを自分のニックネームにしていて、海月がガランドウでした。懐かしいなあ。妻とは、あちこちの飲食店に出没し、尾鷲のご飯を堪能したっけ。

凛は、平日のお昼しかやっていない定食屋です。
600円で、座ると今日の定食がでてきます。

by kurage874 | 2011-05-29 13:02 |  owaseを食べる
27番
今日は雨降りの1日です。

ふと、2004年の四国遍路を思い出します。
7年前の今日、海月はひとつの転機を向える1日になりました。
四国を歩いていると、必ずこういった場面があるものです。
当時は、情報端末は携帯やPHSでも、いまとは比較になりません。
最近では、Twitterで投稿しながらもめずらしくなくなりました。

さて、あのときの海月は、夜須駅で今日の1日を振り返りながら、これからの人生のほうが、歩き遍路のようであるとも感じたものです。読み返してしてみて、なるほどなと感心しました。7年経った今でも、断片的に蘇る記憶があります。

◆27番
 http://blog.goo.ne.jp/kurage874/e/3e1fcd07b2ea5cceb9db622a9c7601b2

そういえば、結婚式を大阪でするための婚前旅行で、妻と2人で四国を訪れました。

香川で讃岐うどんを食べる目的でしたが、私の願いで朱印帳を買って、86番から74番まで打ち戻る形で車遍路をしてきました。当時の妻は、それほど関心がありませんでしたが、75番の普通寺で松ぼっくりをひらった海月が、「これは未来の子どもの種だよ」って渡すと、うれしそうに大事にしていたことも思い出しました。

その松ぼっくりは、いまでもジムニーで揺れています。

夫婦の人生とは、そういう歴史の積み重ねだと思います。

ただでさえ、その積み重ねる時間が短くなっているのに、妻の居所を未だに教えてもらえません。松ぼっくりのおかげか、娘と3人で積み重ねていく人生を望んでいた海月は、途方に暮れる毎日です。

by kurage874 | 2011-05-28 22:49 |  尾鷲の足あと
よいこのきろく
この地方も梅雨入りです。

娘の保育園とのやりとりは、”よいこのきろく”です。

保護者が必要事項を記入し、保育園での子ども様子を、保育士が記入する交換日記みたいな冊子です。毎朝、バタバタしながら書くのですが、一番最後まで書けないのが”排便”の項目です。出掛けにいつも、「ウン」っていうので、慌ててトイレに連れて行きます。3回に2回は排便してくれるので、だいぶと楽なのですが、おかげで遅刻ばかりになってしまいます。

朝食の項目も、手作りできた日と、寝坊気味で菓子パンとヨーグルトの日もあります。「ひやあー情けなー」って思いつつも、毎日つけています。就寝はだいたい21時で、起床は7時が大半です。夜泣きもほとんどなくなり、寝入りばなにグスルのは、哺乳瓶の牛乳をやめたせいでもあります。今夜は30分ほど、絵本を読み聞かせて、とうとう寝てくれました。

さて、よいこのきろくの返信ですが、「今日は、○○をおかわりしました」という記載が一番多いです。「たくさん食べました」も多いので、食欲旺盛なのは夫婦同じの親譲りです。なにげに13キロを超えていますが、肉付きがよいといったたくましい体系です。とても、おしとやかには見えませんが、保育園を楽しんでいる様子が伺えます。毎日のお昼寝もできているので、保育園のおかげです。ちなみに海月のときは、「脱走専門でしたよ」、「保育士のおっぱい触りながらしか寝なんだよ」とか、大人になってから言われたので、恥ずかしい限りです。

どこまで書いたらよいのか考えつつも、毎日やり取りできるということは、それだけ保育園に通えているということです。よいこのきろくをめくりつつ、こうして成長していくんだなあって感じますね。

by kurage874 | 2011-05-27 22:53 |  さらさに贈る言葉
犬山椒
雨が結構降っています。

梅雨前線が、台風2号によって刺激を受けているようです。
この台風2号も、なんだか本州に接近する予報です。

東北にはいくなよ。
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犬山椒


山に入って見つけた犬山椒です。
山椒に似ていますが、あきらかに匂いが違う。
なんか、鼻の奥にまとわり付く嫌な臭いです。

世の中には、似てるけど、違うものってあります。
遠目には同じなので、いっしょくったにされます。
しかし、近づくと、調べると、違いは明らかです。

でも、犬山椒も野生植物で、実は薬用になります。

by kurage874 | 2011-05-26 23:55 |  尾鷲の足あと
災害ボランティアセンターの格差
クールダウンしています…

災害ボランティアセンター(ボラセン)って言葉、定着したと思います。

東日本大震災では、各自治体に最低1箇所は、このボラセンが誕生しています(のはず)。機動力のあるところは、”サテライト”とも呼ばれるボラセンの出張所も設置されて、より細かなニーズに対応できているところもあります。

この”ニーズ(needs)”って言葉も、定着したでしょうね。私も、最初は雰囲気でしか理解していませんでした。04年の三重県豪雨災害のときには、”ニーズ”って言葉を地域の人たちにどうやって伝えようか?と、悩んだこともありました。

ところで、このボラセンですが、自治体によって、あるいは参画している運営主体によって、実にさまざまです。さまざまとは、運営方法・主体であったり、資金調達能力であったり、もちろん、ニーズのとり方ひとつでも、いろいろな方法をとっています。官民協働など、大まかな構図は同じでも、これほどまでに温度差、落差がでるとは、思いもよりませんでした。

ボラセン運営を知っている人には、釈迦に説法でしょうが、初めて触れる人、携わる人にとっては、何がどうなって、こうなって、ああなるんだと、理解しがたいこともあるでしょう。まあ、それが、災害時のボランティアセンターなのですが、いい意味では、”いい加減な臨機応変”、といったところでしょうか?いや、いや、いい加減だと語弊があるので、”絶妙なよい加減で、臨機応変に対応しているのがボラセン”、といったところかいな?

海月的に言わせれば、”誰でもできる”のがボラセンであるべきですが、これを複雑怪奇にしているボラセンほど、ボランティアが来ない、ニーズが集まんない、ボランティアの不平不満が多いなどなど、ネガティブ要素があるようにも感じています。残念ながら、そういったボラセン、ありますよね?これは、実際に訪れたボランティアが一番よく知っているはずです(名前は公表しなくていいですよ。公表はよいと感じたボラセンのみ!)。

しかし、被災者にとっては、ボラセンの格差は、行政の格差よりも実に厳しい現実です。被災者自ら復旧するのと、ボランティアがチームで復旧させるのとでは、さまざまな面で違いがでてきます。訪れるボランティアにとっても、満足にボランティアできるのと、ボラセンの運営に不満を持ったまま帰ってくるのとでは、これまた大きな違いがでてきます。最近のtwitterやmixiを見ているだけでも、このボラセンの格差や温度差は、ボランティアしてきた人たちからのつぶやき、コメントで知ることも多くなってきました。

統計学的な調査も踏まえて、今回のボラセンの調査をする人がいないかなと感じています。運営面や資金面、ボランティアやニーズの数など、ボラセンのネットワークを調べてみるだけでも、格差や温度差の原因究明になるはずです。日に1,000人訪れるボラセンと、50人に満たないボラセンの違いって、絶対に何か原因があるわけで、これを是正することも検討しておかないと、次への備えにはならないようにも感じます。

マニュアルだけでは、災害ボラセンは対応できません。しかし、何かしらの柱がなければ、日ごろの訓練もできません。今回の災害のように、広範囲、壊滅的な状況も珍しいかもしれませんが、ボラセンの運営調査をしている人や機関がいないのであれば、ぜひとも助成金など確保できると思える案件なので、やってほしいなあって考えています。私は主にはできませんが、アドバイスくらいはやらせていただきますよ。

被災地ではできないことも、こうした後方支援としてできることはあります。

◆参考
・全社協 被災地支援・災害ボランティア情報
 http://www.saigaivc.com/

by kurage874 | 2011-05-25 22:42 |  市民減災まちづくり
いーっちゃーったあ…
このごろの、さらさの口癖です。

なぜか、誰かが自分からいなくなると、この言葉を発します。
まさか、自分自身の母親に言うことになろうとは想像できませんでした。

妻の寿美子は、2010年8月25日の21時過ぎ、私の実家で意識混濁しているところを発見しました。すぐの発見でしたが、やがて激しい全身痙攣を起こし、救急車で運ばれる事態になりました。搬送される途中でも、全身痙攣はおさまらず、どうしていいのかわからないままに、3人ほどの知人に電話連絡をいれ、”尾鷲総合病院”に駆けつけていただきました。

その後、さらに搬送されて、伊勢市の”山田赤十字病院”に入院し、3日後に緊急手術を受けて一命を取り留めました。そのときの主治医の判断は重く、一瞬、私は人生が終わったと愕然としましたが、「さらさの2歳の誕生、寿美子の39歳の誕生日は、絶対に家で迎えるんだ」って、そこいらの神さまに誓って、自分を奮い立たせました

妻が倒れた翌日が、妻と娘の誕生日だったからです。

そのときから、妻の実家とはうまくいってませんでした。双方の言い分はありますが、私は寿美子の回復を願っていたし、そのときに保険金の話などされても、記憶にも残らないほど動揺もしていたと思います。また、妻が倒れる以前から、いま思えば症状が発症していたこともあり、育児をしない(できなかった)妻との間で、双方の親を巻き込んでの事件もいくつかありました。しかし、世間が何を噂しようとも、私と妻は、もう一度、さらさを中心に見つめなおすことで、再出発をするつもりで手を取り合っていたのも事実です。その矢先に、妻が倒れました。

しかし、ここからが、私にとっては、妻の実家との長い懸案のはじまりでもありました。意識を取り戻した妻が、やがて放射線治療を勧められることになったとき、私はそれこそ世界中の先進医療を調べまくりました。あるとき、ドイツの友人から、「ドイツ国内で、イオン照射による先進医療があるよ」とメールをもらってからは、同じような効果を持つ”重粒子治療”に着目し、国内に2ヶ所あることも調べて、ないツテを探しながら、千葉県にある”重粒子医科学センター病院(放医研)”にたどり着きました。このとき思いつく、最高の治療が見つかったと感激しました。

しかし、ここでも担当医の判断は重く、「完治はしない」ことを条件に、一縷の回復に期待して、治療が始まりました。本当に、放医研にはお世話になり、妻の回復は目を見張るようでした。このとき私は、マンスリーマンションを借りて妻に付き添いましたが、それこそ外出を2人で楽しんで、千葉市内の飲食店を渡り歩きもしました(最後のほうで軽い痙攣を起こし、外出禁止になりましたが)。法医研のある千葉市稲毛区は、私にとっては第2、第3のわがまちのようでもありました。このときも、妻の治療と、それに向き合う私との間には、妻の実家とのさまざまな事件があって、伊勢でも千葉でも、大きな迷惑をかけることにもなりました。

昨年12月に、尾鷲に戻ってきてからは、奇跡の3ヶ月を過ごしたのですが(以前のブログで書いています)、それでも妻の実家とはしっくりきませんでした。「(実家の)倉吉に一度は帰したい」というのが、妻の実家の要望でしたが、「いまは家族との時間を見守ってほしい」が、私の要望でした。その延長線上には、妻がいくら元気でも、告知を受けた状態であったことと、私自身の焦りもあったからです。

家族3人の時間は、そう長くはない…

やがて、主治医の予見通りに、妻の症状は悪化し、3月半ばには自宅介護が始まり、5月9日未明に救急搬送したころには、満身創痍の状態にも見えました。薬を受け付けず、抗がん剤も飲み込めず、「自宅介護はもう限界ですよ」と言われてあきらめました。4月には、伊勢の主治医からも、ターミナルケアの話をされていたので、私としては、最期の穏やかな時間は、妻が勤めていた尾鷲総合病院でと決めていました。双方の病院のやり取りのあと、妻は勤務していた6階の個室に入りました。

しかし、ここでも妻の実家とはうまくはいきませんでした。家族3人の時間を尊重してほしいとお願いしましたが、いつでも病室には妻の親がいて、これはあとで教えられましたが、再三再四、病院側にも苦言めいたことや、要望などもしていたようです。「最高の状態で終末を迎えられるので、病院側には迷惑をかけないでほしい。私も妻も、病院に関係する仕事をしています」とお願いもしましたが、結果としては、迷惑をかけていなくなってしまいました。

そう、妻は、23日の22時ごろ、すでに退院していたのです。

私が電話をもらったのは、翌日24日の10時前でした。「退院されたので、荷物を引き取りに来てほしい」、これが病院側の第一声でした。すぐに、「やられた」とも思いましたが、「なぜに、保証人である夫に連絡しないのか?」と、疑問をぶつけました。しかし、妻自身が、自筆とされる書き置きをしていたので(倉吉に帰りたいです。と、書いてありました)、病院側としては引き取り側である親もいることから許可したというのです。道徳的とか、倫理的なところでは、「でも、おかしいやん」って感じますが、法的には問題はないようです。

しかし、私にとっては、”妻が消えた”に違いなく、すぐに妻の親に電話をしたところ、「何を言ってもアンタは取り合わないから、警察にも弁護士にも、津のナントカにも相談して、法的に問題ない形でやっている。好きなように、アンタも警察や弁護士に相談すればいい。寿美子が回復したら、帰してやってもいい。これで嫌になって、離れる(別れる?)とかいえば、そのときはまた相談すりゃあいい。尾鷲よりも、ちゃんとした治療を受けさせるで」と、電話を切られてしまいました。妻は、保険証も身分証も持たないまま、着の身着のまま、どこかに連れられていなくなってしまいました。

そもそも妻は、ターミナルケアの最中でした。目覚しい回復はしていましたが、どこの病院に転院するのか、そもそも、こんな形で転院できるのか?そもそも、倉吉に帰るとすれば、移動に耐えられる状態であるのか、そもそも、自己判断ができる状態だったか…いっぱい、いっぱい、考えることが溢れてきますが、もう妻は、尾鷲にはいません。法的には問題ないかも知れませんが、妻の実家の思い通りになってしまいました。しかも、回復する見込みはない病気なので、「帰す」というのは保障がないという言葉です。

私は尾鷲の出身でも、尾鷲に縁がある人間でもありません。しかし、尾鷲ですいたことしているし、議員にまでなっています。私自身では、尾鷲のまちが好きなのと、尾鷲のやこの地域の将来を真剣に考えて取り組んでいるつもりですが、私自身の不徳のいたすところで、悪い評判も甘んじて受ける立場にいます。妻との一件についても、「おまえの悪い評判はようきいとるでな」と、妻の親に言われるほどに、それがしの人たちが、妻の親には耳打ちもしていたようです。保険金のことも、委任状のことも、印鑑や通帳のことも、妻への態度や不仲説についても、全部が私が原因のように言われていることもあるようですが、「それは相手側かでっち上げなのにな」と取り合わずにいままでやってきました。

しかし、真実はひとつです。

私は逃げも隠れもしないし、耐えることも仕事のうちとあきらめています。

今日、さらさを保育園に迎えに行って、病院が見えるあたりまで車を走らせると、「かーちゃん、かーちゃん」と大騒ぎをしました。いつもことですが、今日はもう立ち寄ることはありません。車を右折して国道42号線に出ると、「イヤ、イヤ、かーちゃん」と、振り向いてまで病室のある方向を指差しました。

「さらさも、寿美子も、お互いはもう忘れとる」

こう言われたこともありましたが、親子の絆は見えない糸です。
先週末、寿美子は久しぶりにさらさの名前を呼びました。

「さらちゃん」

そのときの娘の笑顔は、私の脳裏に焼きついています。
寿美子は、ベッドにあがる娘をかばう仕草もしていました。

「3人でおうちに帰ろうな」

そういう私に、

「ありがたいねえ」

と涙をこぼしたのが最期でした。

あの日、私はリクエストされた永井魚店のお好み焼きを持っていきました。娘と妻とが、競い合うように食べあって、それはそれは穏やかな時間でした。その夜に、まさかいなくなるとは想像できませんでした。

双方に言い分はあります。

寿美子も、自筆とされる書き置きを残しています。
帰りたいですと書いた日付は、5月21日とありました。
それから2日後に、妻は消えていなくなりました。

お好み焼きを日曜日にリクエストし、さらさの名前を呼んだのも事実です。しかし、それが寿美子自身が決断した上での、最期の晩餐とは信じたくはありません。

世の中には、仕方がないこともあるものです。
それを一番よく知っているのが、この私です。

しかし、それを1歳10ヶ月の娘にも背負わすことを、平然とやってのける人間がいることに、私はどうしようもない憤りを感じています。

妻への心配は尽きません。

妻の両親たちが、かなぐり捨てて妻を奪っていったようなことを、私にはできそうにありません。これ以上、妻に、心理的、精神的、体力的な負担をかけるわけにはいきません。

妻はターミナルケアの最中でした。

by kurage874 | 2011-05-24 22:52 |  さらさに贈る言葉
おさすり?柏餅?
やはり、”おさすり”でしょう。

手を合わせている形から、この名前がついたのかな?
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おさすり


海月は大好きです。
賀田の”みのや製菓舗”のおさすりは最高です。
イタダキ市で買えるようになったので、実は喜んでいます。

この餅を包んでいる葉っぱですが、知っていますか?

サンキライ(山帰来)とも言われていますが、耳にするのはサルトリイバラ(猿捕茨)でしょう。赤い実が特徴で、リースを作るときにも重宝します。若葉をおさすりに使いますが、あの緑は目が覚めます。茨なので、山に入ると服とかによくひかけます。

写真のおさすりは、おすそ分けでいただいた自家製です。
サルトリイバラの葉も、自分たちで摘んできたとのことでした。

ごちそうさまでした。

by kurage874 | 2011-05-24 00:36 |  owaseを食べる